社交ダンスにおいての、最悪パターンの構図を描いてみました。
左側の「ダンス生活を満喫」の枠にいる人たちは、それぞれの目的に向かって充実したダンス
ライフをおくられているものと思われます。
別な言い方をするとこうなる。「ダンス生活を満喫しようとするならば、左側のどれかに向かって進み続ける必要がある」
と。
で、この構図の問題点は、2つあります。
1つめは、「左の枠に属さないダンサーは多い」という点。
仕事を持っている社会人に限って言うならば(生涯スポーツとしての高齢者サークルを除くという意味)、
これらの層の人たちは、いろんな制約があって、満足な活動が出来ないことも多く(予定なんて、数日前に
ならないとわからないことが多い)、むしろダンス人口の中では、左の枠のどれにも属さない人の方が多い
と思われること。
そして2つめ。左の枠内においても、「▲」の部分は存在せず、ひたすら、枠内の3つのどれかに向かって
進み続けなければならないということ。 競技をやり始めると、辞めるわけにはいかない。
発表会向けの練習を始めたら、辞めるわけにはいかない。 ひたすら進み続けるのみ。
練習を重ねれば重ねるほど、上手になればなるほど引き返せなくなる。 振り返ってみたところで、そこには
居場所など存在しない。
そして、なにより最悪な点。
ダンスを習う人が、どれだけ練習を重ねて上手になったとしても、真剣に踊る場所がなければ、
「自分の踊りを認めて貰うことが出来ない」ということ。
ダンスの練習の成果を認めてもらう方法は、ともかくダンスを踊ること。
ともかく、ダンスを踊って、相手の人に認めて貰うこと。
それが出来なければ、なんのためにダンスを習うのか、目的を失ってしまう。 これが一番危険である。
競技会が頻繁におこなわれ、本当に上手な踊りを見ようと思えば、いくらでも身近に見ることが出来る。
そんな時代になってきた。ありがたい時代である。
しかし、これは同時に、「自分の踊りを他人に見せて、その技術を評価してもらう」ということが、
きわめて難しくなってきていることを意味する。 見る人の目は、どんどん肥えてきているからである。
競技会の素晴らしいプロ選手の踊りを身近で見られる昨今、「中途半端な踊りであっても、それをみて
感動してくれる人たち」というのは、いったいどういう人たちなのだろう。
やはり「ダンスは、自分が踊って楽しむモノ」。 これが基本なのではないだろうか。
P.S.
社会人の男性が少ない原因は、「忙しさ」のように思われているが、実際には、それだけではないはず。
「1年に1曲、おばさん先生と踊る、それが夢である。そのためには毎年何十万円〜百数十万もの費用は惜しくない」
なんてことを考える男性(それだけの価値があると感じる男性)は、きわめて少数であろうということ。
じゃぁ、競技に出れば? ってことになるのですが、ある程度勝ち抜く見込み(というより自信)がなければ、
練習時間や費用の投資ができない。 勝ち進める見込みがなければ、競技なんかやらない方が良い。
ダンスの練習時間を1時間800円(高校生のアルバイトの時給で換算、働き盛りの成人男性はもう少し高く評価し
てもいいかな)と計算し、レッスン費用を加算すると、ダンスへの投資額(換算)は、それなりの金額になる。
それだけの投資額(換算)を回収できるかどうか。この判断と、ダンス人口とは、密接な関係を持つはずである。
時間とお金を掛けて習った(投資)としても、満足に踊る(利益)ことができなければ、投資額を減らす(無理して習おうとは思わない)。
逆に、満足に踊る(利益)ことができれば、より一層、時間とお金を掛けて習おうとする(追加投資)。
役に立たないものは安くても買わない。 役に立つものは高くても買う。 それと同じだと思うがどうだろうか。