上の図は、前回の「最悪パターン」の構図のド真ん中、つまり「魔のトライアングル」にあたる「▲」
の部分に、「ダンスパーティ」をいう項目を追加したものです。
これだけで、ずいぶんと雰囲気が変わります。
でも、「技術的な興味を買いたくする方向に進歩したダンスパーティ」というものが、今の日本で、果たして
成立するかどうか? これが最大の疑問だと言える。
ここで、一番最初に引用した本を、もう一度ひっぱり出してみる。
今から34年前、1969年に書かれた本だったりする。
英国のボールルームダンスは、自分自身が会衆にまじって共に踊り楽しむ意味では「ソーシァ
ル・ダンス」即ち社交ダンスではありますが、然し社交が第一の目的ではなく、ステップの技術的
な興味を開拓する方向へ進歩して行ったために、多分にスポーツとしての性格を帯びて来ています。
これは英国ではボールルーム・ダンス競技会が早くから発達して強い影響をもたらしたものです。
今の日本の社交ダンスは、「競技会の影響を強く受けている」というのはこの本と同じ。
「ステップの技術的な興味を開拓する方向」というのは、社交ダンスのレッスンそのもの。
根本的に欠けているのは、「自分自身が会衆にまじって共に踊り楽しむ」という部分。
今の日本の地方の現状(平均年齢層)では、若い人たちは「社交目的のダンス」なんて、できっこない。
若者向けサークルを作ったとしても、サークルから外にでれば、同年代の人は非常に少ない。これが現状。
だから、若い人たちにとっての社交ダンスが生き延びるのは、「ステップの技術的な興味を開拓する方向」
以外にありえない。
ともかく、社交ダンスを若い人に残すなら、「ステップの技術的な興味を開拓する方向」のダンスを
ピラミッドの底辺層に普及させる必要がある。 最悪パターンで紹介した、ど真ん中に
「▲(魔のトライアングル)」が存在する状態では、「(学生ダンスを含めた)若い人へのダンスの普及」
を呼びかけてたとしても、それが成功する可能性は低いと思われる。
逆に、「ステップの技術的な興味を開拓する方向」が、底辺層に根付いてくれば、将来性も見えてくるはず。
そして、将来性が見え、底辺層が増えてくれば、今まで習ってきた人たちのダンスの価値も向上する。
ダンスが廃れてしまえば、手持ちの「今まで習ったダンス技術」という「株」が、暴落して価値の無いモノになってしまう。
逆に、ダンス人気が出て来れば、貴重な価値を持つ(たくさんの人から尊敬される)ようになる。
この差は大きいはずである。
若い層の人たちにダンスを広めることにより、「自分がいままで習ってきたダンス技術の価値」が上がっていく。
「今まで習ったダンス技術」という「株」を持ってる人全員で、「技術的な興味を買いたくする方向に進歩したダンスパーティ」
を作って、みんなで「利益」を出してみませんか?