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懐メロダンス音楽の元歌探しは、今日も続く。
http://lounge.ongen.net/special_ml/timemachine/index.php
USEN(有線)のホームページというか、USENの音楽配信サイトOnGen の中に、「Beat Hits タイムマシン」というのがあって、1961年(昭和36年)~1990年までのヒット曲を集めてあります(各40秒間くらいの視聴が出来ます)
個人的に、1971(昭和46)年以降の曲はだいたい知ってるけど、1969(昭和44)年の曲はほとんど知らない。ちょうど小学校に入った頃と幼稚園の頃。 幼稚園と小学校1年の時とで、これだけ明確に記憶に差が出るものなのかな...と、いまさらながら唖然。
このホームページをたどってみると、
1961年、越路吹雪/ラストダンスは私に(フランスの曲の日本語訳)
西田佐知子/コーヒールンバ(これも外国の曲の日本語訳)
1962年 橋幸夫・吉永小百合/いつでも夢を
1967年 ジャッキー古川とブルーコメッツ/ブルー・シャトウ
「森トンカツ、泉ニンニク、か~コンニャク、まれ天ぷら」とかやってたのが、幼稚園の頃だわ、
1971年 小柳ルミ子/わたしの城下町(小柳ルミ子のデビュー曲ですね)よく覚えてる。
尾崎紀世彦/また逢う日まで。
1972年小柳ルミ子/瀬戸の花嫁
「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼、夕波こな味噌ラーメン、あなたのしまエビフライ、お嫁に行く海苔たま」だったかな。 ガキの頃、よく歌ってた。
1973山本リンダ/狙いうち 今でも高校野球の応援で、必ず耳にする曲ですね。
1975都はるみ/北の宿から 意外と新しいんだよな。この曲。
1977ビージーズ/愛はきらめきの中に 映画「サタデーナイトフィーバー」関連の曲。
40歳代の人が「懐メロで踊るルンバ」といえば、このあたり曲になりそう。
こういう曲を、もういちど聴いてみたい人は、上のサイトへ。 視聴できます。
P.S.
そろそろ、あと2年くらいで、「昭和生まれの学連ダンサーが」が居なくなり、「学連と言えば平成生まれ」になってくるはず。
今の社交ダンスは、若手だけではやっていけないので、平成生まれのダンサーが、先生としてやっていくためには、上記(1961年~)曲よりも、1世代古い昭和20年代(1945~1955年あたり)の曲を、インターネットで調べて理解しておく必要がある。
そうやって、人を集めなければ、先生としてやっていけない。
平成生まれのダンサーの中で、上手になりたいひとは先生を目指すだろう。
でも、そんな平成生まれのダンサーにとって、一番苦労するのは、昭和20年代の流行を理解することかもしれない。 それが出来ない平成ダンサーは、生き残れないかも(若い人相手では、金銭的に、やっていけないはずだから、社交を続けるなら昭和20年代の唄を覚えておくベシ)。
昨日・今日の二日間で、インターネットを使って、少し調べてみたけど、生まれる前の曲を調べて、どの曲が年輩の人に気に入られていたか、どの曲はたいしたことない曲だったか、判断するのは難しかった。けっこう大変な作業だった。
女性の先生を育てることが、次の世代に社交ダンスを残すことになる。
女性の先生がいなければ、男性のダンサーは生まれない。
男性のダンサーが生まれなければ、社交ダンスは絶滅する。
(踊れるリーダが居てこそ、社交ダンスダンスが成り立つ)
今の社交ダンスは、教室内に女性を閉じこめてるけど、それって女性を避妊させてるようなもの。
こんなことやっていて、女性の先生なんか育つわけがない。
女性の先生が育たなければ、次世代の男性ダンサーは生まれない。
さらに、平成ダンサーが先生としてやっていくには、2世代前の昔の流行歌を理解しなければならない。
(平成ダンサーにとって、親はディスコ・Jポップ世代。 平成ダンサーの母親は、ピンクレディの曲の振り付けを覚えているのである。 UFOとかサウスポーとかペッパー警部とか、そんな曲の振り付けを、全部覚えていて、いまでも踊りながら歌えるが「平成ダンサーの母親」だったりする)
音楽の認識について、気になったので調べてみたけど、若い人にとって、昭和20年代の音楽を理解することは、ダンス技術以上の難問だろうと思う。
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